看取りの講演を聞いて、その感想。
2018年3月4日、香川県、総本山善通寺で看取り師会会長の
柴田久美子先生の講演会がありました。
その中で、瀬戸内寂聴さん談として、こんなお話しがインパクトが
ありました。
「人が死ぬ時、25mプール529杯分のエネルギーが、看取る人に渡される。」
「今の医療のやり方では、529杯分が失われている」
「日本人は受け取ることができる本来の自然の力をみすみすのがしている」
・・・そうなんです。
あらら、、、どうやって、その数字がわかるの?
とか、頭で考えると飲み込めない過大なインパクトのあるお話です。
が、柴田先生が、ご自分のご家族のお話をされた後、看取り師は、助産師に
対応すると言われて、ストンと腑に落ちました。
私事になりますが、、ワタシは、長女を愛知県の大きな病院で自然出産しようとした
時、陣痛20時間程で、陣痛促進剤注射を打たれそうになり、「お願いしていたので、
自然に産みたい」と掛け合い、延々とやりとりしたことに疲れたエピソードと、
次女出産時には、香川県の助産院でスンナリ日常の延長で、出産できた事を思い
出しました。
2度目の出産という、慣れもありますが、自然に・・しかも、別世界からの
エネルギーを受け取るかのような産みの力・・・充分に感じることが出来たことまで
蘇ってきました。
ついでに、思い出したのは、10年前、父が白内障の手術を受けた後に
ボケたようになり、そのまま愛知県の大きな病院に入り1か月後に亡くなった
事でした。
意識がはっきりする時もあり、「チューブや機械はいやだ!」と言っていました。
母は「家に連れて帰ろうか‥」と言い、父の兄弟は「そんなことしたら死んでしまうよ!」
と、もめていました。(ワタシは、香川にいて電話で様子を聞いて、「分からない!」
と、言いました。。。)(**;)
病院に残り「胃ろうします!」となった時に、父は、逃げるように旅立ちました。
その頃に‘‘看取り’’を知っていたら、中間に入っていただいて、静かなお別れが
出来ていたのかな。。と、今回、お話を伺いながら思いました。
(病室を一つお借りして。。柴田先生は、お母さんと「最後の時」をすごされたそうで、
医師によっては、処置をしない入院を認めてくださる?・・・看取り師の説得があれば?)
と思いました。
生○————-○死
イノチ の最初と最後に、今は病院というシステムが仲介してくれていますが、
静かに彼方の世界を感じながら過ごせる(大きなエネルギーの引継ぎという
手応えを感じながら)・・・・家族で、そうしてもいいし、
不安なら看取り師を呼んでください。
そんなことを、知らせて下さる柴田先生のお話でした。
★病院は、助かる命を助ける機関でもあるので、ワタシ(山下)は否定をする気持ち
は全くありませんし、こんな文章しか書けませんが、病院と自然な事を
比べて批判する気持ちもありません。
病院関係者の方、怒らないでくださいね。。。
読んでくださって、有難うございました。m(_ _)m