「首の思い出」・・があります。
FBで、シャンタンさんの記事を拝見。急に蘇った記憶があります。
記事の内容は、臨済宗の臨済が、「魂とは?」と問われ、その人の「首」を絞めた話。
彼にいくら言葉をつくしても伝わらないであろう「魂」について、一瞬死と向き合う体験を与えることで、
「今ここ!!」を味わう行為に及んだ?
その彼は、分かったらしい。。。今ここに生きていることや、生のありがたさが。
私の体験のそれは、学生時代にIの家に行った時でした。
学際で、バンドにさそわれて親しくなり、家の方向も途中まで同じで、何度か寄り道。
彼のお母さんは、服飾デザイナーをされていたせいか、Iは、いつも奇抜な服や、
ファショナブルなステージ衣装風(?)で、通学して目立っていました。
ある日Iの家に行った時、1Fでは、美しいお母さんが縫い物をされていて、
2Fの部屋で「描きかけの課題を見せるから」と言われて、2Fへ。
(いつも、お母さんのチェックがあって、どこの誰で、父親は何をしているかなど、、聞かれた聞かれた・・・(~~)。。)
共通の友人の話、特に、とんと会わなくなった幼馴染の
Kの話を聞けるのは楽しかったし、なるべくそこへもっていったような。。。(あ、話、ズレマシタ)
課題や、発想の話をしていた時、急にIの手が伸びてきて、、ワタシの「首」に!
「いい発想方法がある!」だったか、
「いい、体験をさせる!」だったか・・・なにか言っていたような。。。?
息ができなくなった。
もがいて、「や、め、て、」・・・と言ったか?どうか?・・・(覚えていない)
首が痛い。首が閉まる。息ができない。(そこで、あきらめたような気がしますが・・・)
目の前が、(目は閉じているがありありと見えたのは、、、)テレビの砂嵐状態。
色は、グレー。。。テレビ画面にシャーっと入るアレでした。
Iは、首に当てた手をゆるめない。。。。もがいていたら、
目の前が、「イエロー・グレーの砂嵐」になった。。。横筋模様につぶつぶが並び始めて、、、川?・・・と
思ったら、Iの手が首からはずれた。
Iー「どうだった?」
ワタシー「・・・・・・・・・・・・・・苦しいよ!!!!・・・なんで!?」(ゴホッ!ゴホッ!)
Iー「何か見えた?」
ワタシー「・・・・(’ ’ 。о ○ ・・・・黄泉の国・・・・川かなア・・三途の川かも?」
Iー「なんだアつまらん。みんなと同じこというな!!」
ワタシー「・・・・!!(ぶちっ!)」
Iー「貴重な体験が出来ただろう!?」(^^
ワタシー「頼んでないのに、こういうことしないで!!!」(’о ’♯♯♯
それ以来、Iとは離れたれたような記憶が。。。
物好きな女友達がやたら仲介役をたのんできたが、
それをきっぱり断れなかったことの方が印象に残っていて、首の体験の方は忘れていた。
スター気取りで、横柄な態度でヘンナ人。服のおさがりをくれたり、やさしさも見せてくれた・・・・
そこに気を許す人は大勢いたんだろうなぁ・・・と思いますが、
けっこう、キ・ケ・ン!
もしかしたら、彼は求道者だったのかも知れない。。いや、ただの好奇心だったのか?
ワタシは、黄泉の国の入り口へ行ったのか?
あの時、イエロー・グレーの川のような模様になった砂嵐は「黄泉の国」の隠喩なのか?
死ぬ前に、だれもが渡ると言われる三途の川へ行って、見て来たのか?
あとどのくらいで・・・渡って行けたのか?
もし、渡っていたら、魂が抜けたのか?
今、ワタシはこちら側にいる。。。。。泣いたり、笑ったり、怒ったり。日々の感情を味わうのも喜びだな~と、
つくづく思う、今日この頃です。
以下は、FBのシャンタンさんの文章の一部です。
もちろん、誰かに首を絞められて、
危うく殺されそうになれば、あなたは未来のなかにはいられない。
あなたは過去のなかにはいられない。
あなたは今ここに移る。
その瞬間を取り逃がしたら、危険だ。
このような人に向かって
「内側に深く入ってゆき、自分が誰であるか知りなさい」
と言うなら、それだけで相手は変容を遂げる。
彼はサマーディに入ってゆく。
彼はその瞬間に立ちつくす。
ほんの一瞬でも現在にいることができたら、
あなたは実在を知ったことになる。
実在と遭遇したことになる。
そして、あなたは二度とその足跡を見失うことがない。
精神霊的な感覚とは、あるがままのもの・・
このすべてのあるがままの姿を知ることだ。
これ!
今起きているこれ・・